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かんちがい

 外回りを終えて事務所に戻ると、所長と木崎がにらみ合っていた。
 「なに、なんかあったの?」
 隣の江川さんに小声で訊く。彼女は入社5年目のベテラン事務員だ。彼女より下の後輩がいないため、いつまでも新入社員気分が抜けないという欠点はあるものの、ひととおりの事務処理は完璧にこなす。女子社員としてはおおむね合格点というところだろう。
 「クレームですよ。木崎さんの担当したお客さんが、所長に直接クレームの電話をかけてきたんです」
 「どういった内容?」
 「よくわからないんですけど、木崎さんは自分は悪くないって言い続けてます」
 なるほどね。
 珍しいことではなかった。木崎は、悪いやつではないけれど、知らず知らずのうちに人を不愉快にしてしまうという特徴がある。まず格好からしてそうだ。数ヶ月に一度しか髪を切らないというのを自慢にしているが、いくら男の長髪が流行っているとはいえ、営業マンとしてあれは失格だろう。
 同じチームじゃなくてよかった。
 オレは心底そう思い、デスクに向かった。

 外回りでかかった交通費などの申告をようやく終えると7時半になっていた。事務所内にはいつのまにか数名しか残っていない。
 「神崎さん、終わりました?」
 オレの申告書を待っていた江川さんが尋ねる。
 「あ、ごめん、遅くなって」
 「ホント、困りますよ。なんかおごってもらわないと割に合いません。……なーんて、ウソです。処理はどうせ明日にしますから。でも、実はちょっとご相談したいことがあって」
 彼女は思わせぶりに目配せをした。上目遣いの瞳が少しうるんでいる。
 もしかして……。
 オレは意識的に左手を隠す。いまさら結婚指輪を隠したところで、オレに妻がいることは彼女だって当然知っている。知ってるどころか、結婚式の2次会にだって来てたじゃないか。
 「……なに?」
 期待半分、オレは訊く。
 「いえ、ここではちょっと……」
 語尾をあやふやにするところが、ますますあやしい。
 オレは高鳴る胸をおさえつつ、「じゃあ、一杯行くか」と言って、席を立った。

 忘年会でいつも利用する飲み屋の、今日はカウンター席にすわる。
 ここだと人目についてまずいんじゃないか、と思ったものの、店内には事務所の人間はおらず、客も店の半分くらいしかいない。
 まずはビールで乾杯して、一品料理を適当に頼む。江川さんが思いのほか旺盛な食欲を見せ、目の前には次々と新しい料理が運ばれてくる。
 「で、話って?」
 いつまで待っても口火を切りそうにないので、こっちから投げかけてみる。
 江川さんは口元に運んでいた焼き鳥をあわてて口に入れると、ビールで呑み込んだ。
 「神崎さんって、今でも奥さんのこと、愛されてますか?」
 きた。
 オレはそう思ったものの、顔には出さず、「どうして?」と柔らかく質問で返す。大人だ。我ながら、大人な対応だ。
 「男の人って、なんか信用できなくて。……あ、神崎さんがそうだって言ってるわけじゃないですよ」
 江川さんは顔にかかった髪を耳にかける。ふっくらとした頬が目に入り、オレはあわてて目をそらす。
 「誰か……好きな人でもいるの?」
 おそるおそる訊いてみる。“神崎さんです”なんて言われたらどうしよう。甘い期待に胸を膨らませながら。
 「いますよ」
 ドキッ。
 江川さんはなんのためらいもなく答えた。
 「実は、付き合ってるんです、木崎さんと」
 「げっ」
 オレはついうっかり口を滑らせてしまった。しかし、彼女にはその声が耳に入らなかったようで、話を続けている。
 「もう1年ほどになるかな。事務所では公にはしていませんけど、休みに日に会ったりしてるんです。でもほら、彼って何考えてるんだかわからないような面があるじゃないですか。“好きだ”とか“永遠に愛すよ”なんて言葉を、どのくらい信用していいのかわからなくて」
 アイツ、そんなクサイセリフを吐いているのか。いまどき珍しいロマンチック野郎だ。
 動転しているオレは、ジョッキの中身を一気に飲み干すと、「えーと、あの木崎、だよね? ウチの事務所の、木崎、なんだよね?」なんて、意味もなく確認したりしてしまう。
 そして、さらに口は勝手に動き、言わなくてもいいようなことまで言ってしまう。
 「付き合いって、どのくらい? その、どの程度進んでるの? いや、そうじゃなくて、あの、結婚とか……」
 ダメだ、これではセクハラだ。
 「このあいだ、プロポーズされたんです。でも、私、なんだか自信がなくて。男の人の気持ちって、簡単に変わるんじゃないかなって」
 「返事はしてない?」
 「はい」
 そっかー。そうなのかー。
 オレは脱力し、しばらくサンマの塩焼きを見つめ続けた。
 木崎なぁ。たしかに悪い男ではないけれど、江川さんの将来がかかってるとなると、考えものだなぁ。
「今日だって、木崎さんは悪くないのに、所長ずっと叱ってたでしょう? 私、ああいうのを見てるの、耐えられない。結婚して、家にいたら、見なくてよくなるかなぁと思ったりもするんですけど」
 江川さんは一方的に話を続けている。
 いや、そういう問題じゃないだろう……。
 そう思うものの、恋の魔力は偉大だ。
 その後、オレはやんわりと木崎という男のついて客観的な意見を述べてみたものの、かえって江川さんの心をかたくなにしただけであった。
  
                           (了)

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# by kimura-ian | 2006-02-08 23:16 | 片思い

夕焼けの向こう側

 真っ赤なランドセルを背負った女の子がひとり、路地を駆けてゆく。
 ピンクや水色や黄色など、さまざまなランドセルが街中にあふれているのに、いまどき赤なんて珍しいなと足を止め、女の子の後ろ姿を見送る。
 肩で切りそろえられた髪が左右に揺れ、その瞬間、僕はデジャブに似た浮遊感におそわれる。
 同じような景色の中にいたことがある、と思った。
 その女の子は僕を見つめ、まっすぐな瞳でこう言ったのだ。
 「ダイキライ」
 と。

 小学4年生の冬だった。
 僕らはいつも、町内にある神社の境内で放課後を過ごしていた。
 神社とはいっても、無人の、古く小さなものだ。近所のおばあさんがたまに掃除をしていくものの、ふだんは参拝する人の姿もなく、僕らが遊びにいかなければ誰の心にも留まらないようなそんな神社だった。
 そこには大きな木が一本そびえ立っていた。
 他には何もないのに、ただ木だけがその存在を主張していた。
 子どもにとってはかっこうの遊び場だ。
 木登りをしたり、幹に字を彫ったり、根本にできた空洞に「宝物」を隠したりすることは、まるで自分が“大人”になったような、全能の力を手に入れたような気分にさせてくれた。
 その木は僕らにとって、秘密基地だったのかもしれない。
 
 その日も僕たちは日が暮れるまで神社で過ごした。
 僕は木のいちばん高い位置までのぼり、下を見下ろしていた。
 他に、同じクラスのコウタと、ユウコ、そして名前は覚えていないが女子がもうひとりいた。
 ユウコともうひとりの女子は、何か熱心に木の下で話し合っていた。女子はいつだってそうだ。おしゃべりばかりに夢中になる。
 僕とコウタは下に向かって「のぼってこいよ」と何度も声をかけていた。
 女子ふたりは無視を続け、しまいには「うるさい!」と怒鳴り返してくる始末だ。
 「せっかく来たんだから、のぼれよ」
 僕はしつこく声をかけ続けた。
 夕日がまもなく山に隠れようとしていた。冬の澄み渡った空の向こうに見える夕焼けはあまりにも美しく、世界を照らし出していた。冬枯れした田んぼも、野原も、川も、まるで自分たちの知らないおとぎの国のように、黄金色に輝いている。
 一緒に見たいんだ。夕暮れの景色を、ユウコと。
 「あきらめろや、リョウちゃん」
 コウタが言った。「あいつら、今日はのぼってこないぜ」
 「なんで?」
 僕はコウタに尋ねた。
 「さっき聞こえちゃったんだけどさ……」
 そこでコウタは口ごもった。
 「言えよ。なに?」
 「……うん。ユウコちゃん、アレなんだってさ」
 「アレ?」
 僕は学校で聞かされたばかりの話を思い出した。僕たちとは関係のない話だと思っていた。あるとしても、もっと先の遠い話だと思っていた。
 「アレだと、木にのぼれないの?」
 僕は素朴な疑問を口にした。
 「わかんないけどさ、そうなんだろ、きっと」
 コウタはなぜだか怒ったようにそう言った。

 僕の記憶はそこまでだ。
 ユウコは赤いランドセルを背負っていた。ユウコだけじゃない。当時小学生だった女の子は、ほとんどが赤いランドセルを背負っていた。
 なのになぜ、僕はユウコだけを思い出したんだろう?
 「ダイキライ」と言われたのがいつだったのかは覚えていない。
 夕焼けの日よりは後だったことは確かだ。
 5年生になると僕たちは別々のクラスになった。もう、廊下ですれ違っても、挨拶さえしなかった。ユウコが僕を避けているのは誰の目にも明らかだった。
 僕はユウコが好きだった。おそらく、ユウコもそうだったと思う。
 僕たちはあまりにも幼すぎて、お互いの好意を口にすることができなかった。相手の存在を無視するという方法でしか、自己主張ができなかったんだ。
 ユウコは今、どうしているだろうか。
 今すれ違った女の子が彼女の娘のような気がして、僕はもう一度振り返る。

                            (了)

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# by kimura-ian | 2006-01-25 17:00 | 両思い

祇園恋唄

「なあ、あれ買うて」
亜子が指差す方を見て、私はため息をついた。
「夕食は私のホテルに戻ってからルームサービスでも取るほうが……」
「あかん、あかん。お祭やのにそんなん」
私の言葉をみなまで聞かず、屋台の売り子に向かって「焼きそばふたぁつ」と亜子は言う。
祇園祭はいつ来てもすごい人出だ。
「人に見られたら困るんじゃないか?」と訊いたのは去年の宵山のときだった。亜子はふふふと笑って、「木を隠すのんには森が一番やて言いますやん」と涼しい顔をして答えたが、一緒に歩くときは必ず背広を着ていてほしいと付け加えることだけは忘れなかった。「それやったら人さんに見られても、仕事の接待やって言えますやろ」
それで、今年もこの暑いのに私は背広を着ていた。亜子は浴衣だ。
亜子とは仕事で知り合った。京都の得意先に新しく入ったパートタイムの秘書として紹介されたのが3年前。一目見てその凛とした美しさに惹かれた。ちょっとした下心が働いて、名刺を渡すときに「東京に来ることがあれば連絡してください。食事でもご馳走しましょう」と言ってみたが、連絡などあるわけもなく、時候の挨拶の葉書が、京都の社長名で届く折に、亜子の直筆で一言二言何かしら付け加えられているだけだった。
事態が急展開を見せたのは1年半ほど前だ。商用で京都を訪れていた私は、ふといたずら心がわいて、亜子の会社に電話をしてみた。社長宛の番号を押せば、亜子がその電話を取ることは計算の上だった。
その夜、初めて亜子と食事をした。京都で私がひいきにしている小料理屋で、そこそこ有名な店だが、亜子は初めてだと言った。
「京都の人なのに意外だね」
私がそう言うと、
「ウチ、京都の人間やおへんねん」
と言う。驚いた。
「じゃあ、どこの人間なの?」
「出身は大阪どす。結婚して京都に来ましたん」
「でも、流暢な京都弁を話すじゃないか」
「これはビジネス用。遠方からお越しやしたお方は、ウチが京都弁を話すとえろう喜ばはるから。ホンマ言うたら、ウチの京都弁、おかしい思いますえ」
こういうところが亜子の「出世」する要因なのだろう。パートで入社した亜子は、社長に見込まれて、半年後には正社員になったと聞く。
「ご主人と別れて一緒にならないか」
言おうとするたびに咽が張り付いて言葉にならない。亜子は気づかないふりで妖艶な笑みを残す。
形に残るものはバッグひとつ買わせない亜子のうなじが、とろけそうに白い。

                       (了)

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# by kimura-ian | 2006-01-23 15:00 | 道ならぬ恋

冬実とコージ 第13章「新年」

 「……なに、それ?!」
 尚美があげた素っ頓狂な声のせいで、一瞬、社員食堂中の視線が冬実たちに集まった。
 食器の触れ合う音と品のよい喧騒。そういったものがつかのま遠ざかり、潮が満ちるようにふたたびざわめきに包まれる。
 「ちょっと、声、デカイ」
 冬実が小声でたしなめると、「ごめん、ごめん」と同じく小声で答えて、尚美はぺろりと舌を出した。
 「でも、あまりにも驚いたからさ」
 尚美の食べているナポリタンは、まるでその昔給食に出てきたようなケチャップ味のスパゲッティを思わせた。実際、味は「サイテー」だそうだ。「完全にパスタが伸びきってる」と尚美は付け加えた。
 「しかしさぁ、そのコージって子に同情するわ」
 ナポリタンをフォークに巻きつけながら、尚美はため息混じりに言った。
 「なんで?」
 「なんでって……、“好きです”で“わかった”よ? “わかった”って何よ、アンタ」
 「何って言われても……まあ、その、とっさに」
 冬実はもごもごと言葉を濁す。
 「つい口から出たってこと? ああ、ホント可哀想。その子、絶対、ものすごく緊張して言ったと思うよ。それをアンタ……」
 「ああ、もう、うるさい。わかったって。私が全部悪いんでしょう?」
 冬実は食べ終えた食器をトレーごと持ち上げると、食器返却口に向かって歩き出した。
 「ちょっと待ってよ。私、まだ食べてるのに!」
 金切り声をあげる尚美にふり返り、「アイス買ってくるだけ。尚美もいる?」と尋ねる。
 「もちろん! いつものお願い」
 「オッケー」
 買ったアイスは食堂では食べずに、非常階段を使って自分たちのフロア階まで降り、給湯室で食べることに決めている。その方が人に聞かれたくない話がしやすいうえに、食後のコーヒーが飲み放題だ(ただし自分たちで淹れなければならなかったが)。
 尚美はあずきモナカの袋を破りながら「で、冬実はどうなの?」と問いかけた。
 「どうって?」
 「コージ君のことに決まってるじゃない。好きなの?」
 「よくもそんなにハッキリと訊けるわね」
 「当たり前でしょ。なんてったって、私たちに残された時間は短いんだよ。35歳までに第一子を産もうと思ったら、無駄な恋愛なんてしてるヒマなんてないんだからね。だから、こういうことは単刀直入に訊いて、単刀直入に答えるっ」
 冬実は苦笑しながら、カップ入りのバニラアイスを開ける。
 「いい子だな、とは思うけど」
 「それじゃ、答えになってない」
 「だって、それ以外に言いようがないわ」
 冬実の返答に納得しない尚美は、さらに畳み掛けるように問い詰める。
 「ほんの数時間とはいえ、ふたりきりで過ごしたわけでしょう? 何かしら感じるところはあったんじゃないの?」
 どうだろう。
 冬実はぼんやりと思い出してみる。
 いろんな話をした。コージの料理を手伝いながら世界各国の料理のこと、コージが住んでいたことがあるというフランスのアルザス地方のこと。
 厭味のない話し方だと思った。どちらかといえば他人のことを話すように、少し突き放した目線で自らを捉えているような。だからこそ、日本の学校にはなじめなかったんだろうけれど。
 「歳のわりに大人、かな」
 冬実は小首をかしげた。
 「ああ、もう!」
 地団太を踏む尚美を横目に、冬実はコージの放った言葉を思い出していた。
 <冬実さんは一生の間に何人、本当に好きな異性に会うと思います?>
 そう訊かれて、冬実は答えられなかった。そして、自分が答えられないということに気づいて愕然とした。
 本当に好きな異性。本当に好きな人。
 30年生きてきて、そういう人に出逢っただろうか。私が本当に好きな人……。
 「……んですって?」
 尚美はまだしゃべり続けている。質問の冒頭を聞きそびれた。
 「ゴメン、も一度言って」
 「もう! ぼんやりしてると思ったら、聞いてなかったの? だからぁ、内藤課長、部長になって戻ってくるんですってね」
 「ああ……、そう。そうらしいね。1月5日付だったかな」
 「もうすぐじゃない」
 「うん」
 「冬実、大丈夫?」
 「大丈夫よ。ちゃんとお別れしてるし」
 「でも、顔見たらまた情が戻ったりして」
 「戻らないよ」
 「やけにハッキリ断言するわね」
 そこで冬実は深呼吸した。ゆっくりと言葉を選ぶ。
 「だって、もう、再会しちゃったんだ。でも、大丈夫だった。流されなかった」
 しばらく2人とも口を開かなかった。
 「えらかったね、冬実」
 尚美はパンと冬実の肩を叩いた。そして最後の一口を食べ終えると、勢いよくゴミ箱に袋を投げ入れた。
 
 長期の休み前のあわただしさといったら、何度経験してもしすぎるということはない。
 年末のドタバタを、冬実はほとんど意識不明といった状況で過ごした。
 そうして手にした休暇を、本当であれば勉強のために使いたかったけれど、親がそれを許さなかった。
 1泊だけという約束で31日に帰省した。
 家族みんなでおそばを食べながら紅白を見る。それがここ数年、暗黙の了解になっている儀式だ。
 2つ年上の兄とその一家がすでに来ていた。姪はもう5歳になっただろうか。ゴリエが好きらしく、テレビを見ながら一緒になってチアーリーディングの真似をして踊っては叱られている。
 「洋子さんは24歳で加奈子を産んだっていうのにねぇ」
 兄の妻は冬実よりも年下だ。その義姉の名前を挙げて、母がイヤミを言う。
 「でも、お義母さん、いまどき私のような年齢で出産する人は珍しいんですよ」
 義姉が助け舟を出してくれたけれど、母はまだ納得しない。
 「だからって、30過ぎて独身っていうのは……」
 「おい冬実、いいヤツいないのか? なんならオレの友だちでも紹介してやろうか」
 めいめい好き勝手言うのを、冬実は知らんフリで聞き流す。
 放っておけば、結婚紹介所にでも登録しかねない勢いだ。
 うっとうしい思いを抱きつつも、ほんの少し、あたたかな気持ちが湧いてくるのを冬実は感じていた。ひとり暮らしでは得られない煩さだ。
 これが毎日だと耐えられないけれど、年に1回、こういう日があるのは悪くないのかもしれないと冬実は思う。

 年末とは裏腹に、年始の仕事はなぜだかとてものんびりと始まる。
 仕事はたまっているはずなのに、誰もが正月ムードから抜け出せず、エンジンがかからないのだ。
 まずは所属長である部長に年始の挨拶をする。それから各課長。部内のメンバーにも声をかけて回っているうちに、あっという間にお昼休みという具合だ。
 廊下ですれ違う別の部署の人にも挨拶をするので、社内のどこかしらからで常に「あけましておめでとうございます」が交わされている。
 それと同時に見られるのが、異動の挨拶だった。
 年明け早々本社に赴任してきた人たちは、おのおの各部署の部長のところに顔を出す。
 予想していたことではあったけれど、冬実のいる総務部に内藤が現れた瞬間、冬実は強い動悸を感じて立ちすくんでしまった。
 あの人が、いる。
 前に会ったときよりも、社内で見るほうがよりリアリティがあった。
 内藤は総務部長とひとしきり立ち話をした後、冬実の方に向かって歩きだした。
 なに?
 身をかたくした冬実に一瞥をくべると、目礼だけして通り過ぎる。
 ……無…視?
 そう思った瞬間、“あくまでも1社員として接する”と告げたのは自分だったことに気づき、冬実は赤面した。

                       (つづく)

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※この作品はkyotofrさんとの連作です。
 第12章は http://kyotofr3.exblog.jp/390079/ をご覧ください。
# by kimura-ian | 2006-01-22 00:54 | 連作(合作)

flower

 花屋の店先には意外にもたくさんの人であふれていて、私はつかのま、立ちすくんでしまう。
 彼女たちはそろいの制服を着ている。会話に耳を澄ませると、転校するクラスメートに花束を贈ることがわかった。
 「これで永遠に会えなくなってわけじゃないんだから」
 なかのひとりが、髪の短い女の子の肩をたたく。
 「でも、アメリカだよ」
 「飛行機に乗っちゃえばすぐだよ」
 「そうそう。卒業したらミカもアメリカの大学に行けばいいじゃん」
 口々にかけられる言葉にもかかわらず、ミカと呼ばれた少女はうつむいていた。

 女子高生たちが去った後、私は女店主に頼み、白とブルーを基調にした花をまとめてもらった。ブーケにはせず、紙で巻いてもらっただけだ。
 1年ぶりにこの坂を上る。去年より傾斜がきつくなったように感じるのは、年齢のせいだろうか。
 永遠に会えなくなるってわけじゃないんだから。
 さっきの女の子の声がリフレインする。「永遠」の概念なんて、あの年頃にあるのかしら? せいぜい1年後、よくて3年後の未来しか想像できないでしょうに。
 私があの年頃だったとき、34になってまだ独身でいるだなんて思いもしなかった。ノストラダムスの大予言によれば29のときに世界は滅亡するはずだったし、滅亡しないにせよ、いずれは結婚して子どもを2人持つつもりだった。親はいつまでも元気で、「世界はバラ色」とまでは言わなくても「空色」くらいの人生は歩んでいるんじゃないかと思った。
 なのに。
 世界は滅亡しなかったけれど、ある意味、私の人生は22で止まっている。

 白とブルーの花を2つの花器に生け、ライターでロウソクに火をつける。カバンからラベンダーの香りのする細いお香を取り出し、鼻を近づける。いいにおい。
 「リョウ、今年は父がそっちに行っちゃったよ」
 火をつけると煙がたなびき、リョウのお墓を包み込んだ。
 「あんまり次々と連れて行かないでね。こっちの世界だってさみしくなるから」
 命日には家族がみえるだろうから、私はいつも1日前にリョウに会いに来る。私が22のときに 23で逝ってしまった私の恋人。
 「34になったの」
 信じられないでしょ? あなたは永遠に23なのに。
 私は息を吸い込み、冷たい墓石に触れる。
 「ごめんね、もう来られない」
 膨らみ始めたお腹に手をやり、「結婚するの」と告げた。
 言ってしまったら涙が出た。
 ずっと止まっていた時間が、今動き出そうとしている。そして私は生きる。生き続ける。

                           (了)

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# by kimura-ian | 2006-01-19 15:42 | 別れ